あんぜんを せっけいする げんそく
セキュリティと いうと、かっこいい あんごう ぎじゅつ ひとつを おもいうかべがちです。でも じょうまえが どんなに じょうぶでも、とびらを ひらきっぱなしに したら いみが ありません。ほんとうに あんぜんな いえは じょうまえ ひとつで できません。だれに どの かぎを わたすか、ひとつの かべが やぶれたら なにが ふせぐか、しらない きゃくを いれるか とめるか、つくりが かんたんか ふくざつか。こういう せっけいの やくそくが あつまって あんぜんを つくります。その やくそくは ぎじゅつが かわっても ながく いきのこります。
ひつような ぶんだけ、さいしょう けんげん
まえに OS の かいで けんげんを とりもどすのを みました。
その かんがえを セキュリティ せっけいへ ひろげます。
だれかに けんげんを あたえる とき
やる ことに ほんとうに ひつような ぶんだけ あたえます。
ちょっと みる だけで よい ひとに
なおす けんげんまで あたえる りゆうは ありません。
そして しごとが おわったら その けんげんを とりもどします。
けんげんが すくないほど なにかが まちがっても
ひろがる はんいが ちいさく なります。
たくさん わたすほど うしなう ものも ふえるからです。
ひとりに あたえる けんげんを えらんで。ひつような ぶんだけなら きけんは ちいさく、おおすぎると うしなう ものが おおきい。
ひつような ぶんだけ あたえた ときが いちばん きれいでした。
おおすぎる けんげんは ふだんは らくに みえても
なにかが くるう しゅんかん ひがいを おおきく します。
さいしょう けんげんは ひとだけでは ありません。
プログラムにも きかいにも おなじく あてはまります。
この ぶひんは ちょうど この しごとだけ するように。
この プログラムは ちょうど この フォルダだけ みるように。
そう けんげんの かきねを せまく はります。
でも けんげんを よく わけても
その ひとつの かべが やぶれる ひが きます。
だから つぎの げんそくが ひつようです。
ひとつ やぶれても、なんじゅうもの ぼうぎょ
どんな ぼうぎょも ぜったい やぶれないとは いいきれません。
だから ひとつの かべだけに すべてを かけません。
ふせぐ かべを いくつも かさねて おきます。
そとの とびらが あいても なかの とびらが あり
なかの とびらが あいても きんこが ある かんじです。
ひとつの かべが しっぱいしても
その うしろの かべが うけとめます。
こうげきする がわは ひとつ やぶれば よかったのが
いまは すべての かべを やぶらねば なりません。
かべが ふえるほど さいごまで いくのが むずかしく なります。
これが なんじゅうもの ぼうぎょの ちからです。
かべを ひとつずつ やぶって。ひとつ あいても つぎが ふせぎ、さいごまで いくには すべて とおる ひつようが あります。
ひとつの かべを あけても おわりでは ありませんでした。
つぎの かべが また はばみました。
なんじゅうもの かべを おく とき こつが ひとつ あります。
かべごとに せいかくを ちがえる ことです。
すべての かべが おなじ じょうまえなら
ひとつ あける ほうほうが すぐ すべて あける ほうほうに なるからです。
かべは しゅるいが ちがうほど たよりに なります。
ところが かべを いくつも おくには
どこまで いれ どこから とめるか
きじゅんを はっきり きめねば なりません。
その きじゅんの しゅっぱつてんが つぎの げんそくです。
しらないものは とめる、きほんは しゃだん
とびらを せっけいする とき しゅっぱつてんを ふたつ もてます。
ひとつは とりあえず ぜんぶ いれ わるい ものだけ とめる。
もう ひとつは とりあえず ぜんぶ とめ ゆるした ものだけ いれる。
ふたつでは とめて はじめる ほうが あんぜんです。
ぜんぶ いれて はじめると
おもいつかなかった きけんまで はいって しまいます。
よの わるい ものを もれなく ぜんぶ しらねば とめられないからです。
ぎゃくに とめて はじめると
はっきり ゆるした ものだけ とおります。
しらない ものは じどうで とまります。
めいぼに なければ はいれない わけです。
ふたつの しゅっぱつてんを くらべて。ぜんぶ いれて わるいのだけ とめると しらない きけんが もれ、ぜんぶ とめて ゆるすだけだと しらないものは じどうで とまる。
ぜんぶ いれて はじめた がわでは
おもわぬ きゃくが そっと もれて はいりました。
とめて はじめた がわは しらない ものを ぜんぶ とめました。
きほんを しゃだんに して おけば
ゆるす リストを もらしても
きけんな がわでなく あんぜんな がわへ かたむきます。
しっぱいした とき そんが ちいさい ほうへ せっけいする ことです。
ここまで みっつの げんそくを みました。
ところが げんそくを ぜんぶ まもろうと すると
せっけいが どんどん ふくざつに なりがちです。
それが べつの きけんに なります。
さいごの げんそくが その バランスを とります。
ふくざつだと すきまが ふえる、かんたんなほど あんぜん
げんそくを よく まもると いって
しかけを はてしなく つけたすと どうなるでしょう?
つくりが ふくざつに なるほど
その なかに かくれた すきまも いっしょに ふえます。
ぶひんが おおく つながりが もつれるほど
どこが よわいか ひとめで みえないからです。
ひとが すべて しらべきれない つくりは
しらべきれなかった その ばしょが すきまに なります。
だから よい せっけいは かんたんさを まもります。
ほんとうに ひつような ぶんだけ おき
なくても よい ものは へらします。
かんたんなら なにが どう ふせぐか
ひとめで しらべられて もっと あんぜんです。
つくりに ぶひんを ふやしたり へらしたり して。ふくざつなほど しらべきれない すきまが ふえ、かんたんなほど ひとめで しらべられます。
ぶひんを へらすと しらべる ところが へりました。
つけたすほど すきまは そっと ふえました。
かんたんさは なまけでは ありません。
むしろ なにが ほんとうに ひつようか
さいごまで かんがえた けっかです。
よっつの げんそくは べつべつに うごくのでなく
たがいに かみあって まわります。
さいしょう けんげんで へらし
なんじゅうもの かべで ささえ
きほんは しゃだんに しつつ
その ぜんたいを かんたんに たもつ ことです。
さあ よっつの げんそくを ひとところに あつめましょう。
まとめて みましょう
ひとところに あつめると こうです。
よい セキュリティは ぎじゅつ ひとつでなく せっけいの げんそくから うまれます。
さいしょう けんげん、ひつような ぶんだけ あたえ おわったら とりもどす。
なんじゅうもの ぼうぎょ、ひとつ やぶれても つぎの かべが ささえる。
きほんは しゃだん、ゆるした もの いがいは とりあえず とめる。
かんたんなほど あんぜん、ふくざつだと すきまが ふえる。
よっつの げんそくは たがいに かみあって まわります。
そして この げんそくは こべつの ぎじゅつより ながく つづきます。
だから あたらしい ぎじゅつに あっても
げんそくで まず たしかめれば ぶれません。
よっつの げんそくを じゅんに おして ふりかえって。(さいしょう けんげん -> なんじゅうもの ぼうぎょ -> きほんは しゃだん -> かんたんなほど あんぜん)
これで あんぜんを せっけいする よっつの げんそくを てに しました。
これから ほかの セキュリティの はなしに あったら
この げんそくが みちしるべに なります。
これは だれかに ひつような ぶんだけ あたえたか、
これは ひとつの かべか なんじゅうもの かべか、
これは しらないものを いれる がわか とめる がわか、
これは かんたんか むだに ふくざつか。
ぎじゅつの なまえは どんどん かわっても
この しつもんは いつも つうじます。
げんそくで たしかめる め、それが セキュリティを みる ちからです。