一つが いくつもの ふり
音楽を きき ながら 文書を かき、ダウンロードも。同時に できて いる ようですね? じつは はたらき手(CPU)は 一つです。とても はやく 少しずつ かわるがわる するので、わたしたちの 目には いっぺんに できて いる ように 見えるのです。
みんな つかいたい
音楽も かけ、
文書も かき、
ファイルも うける。
三つ とも はたらき手(CPU)が いります。
でも はたらき手は 一つだけ。
三つが いっぺんに
一つの はたらき手を つかえません。
どう すれば いいでしょう?
三つの しごと · はたらき手は 一つだけ。
2かいで 見ましたね?
じっこう中の プログラムが プロセスです。
いま プロセスが 三つ、
はたらき手は 一つ。
この 一つを
どう 三つで 分けて つかうか、
それが きょうの はなしです。
ちょっとずつ じゅんばんに
ほうほうは こうです。
はたらき手が 音楽を ちょっと、
文書を ちょっと、
ファイルを ちょっと。
ごく 少しずつ して
つぎの しごとへ。
一しゅう まわって また。
ボタンを おして ながめましょう。
はたらき手が 少しずつ かわるがわる → 三つ とも 少しずつ すすむ。
一どに 一つずつ します。
でも あまりに はやく かえるので、
三つ とも とまらず
すすんで いる ように 見えます。
はたらき手は じつは
やすむ まもなく
あの しごと この しごとを いきき するのです。
はやさが つくる さっかく
こつは「はやさ」です。
ゆっくり かえると
かわるがわる するのが ぜんぶ 見えます。
「ああ、一つずつ するんだ。」
でも とても はやく かえると
人の 目には
きれめが 見えません。
だから 同時の ように 感じます。
かえる はやさを うごかしましょう。
じっさいの コンピュータは
はたらき手を 1びょうに
何千かいも かえます。
人は その はやさを
とても 感じられません。
だから「同時」と しんじるのです。
じつは ものすごく はやい
かわるがわる なのに。
あなたの きかいも こうします
いま この 文を 見て いる
その きかいも 同じです。
画面を えがき、
音を だし、
つながりを たしかめ。
何十もの しごとが
まわって いる ようですが、
はたらき手が はやく かわるがわる するのです。
いま あなたの きかいで (一つの はたらき手が かわるがわる)。
ふしぎでしょう?
わたしたちが「いくつも 同時に」と
感じる その なめらかさは、
じつは 見えない やりくり役が
はたらき手を こまかく きざんで
分けた けっかです。
オペレーティングシステムが うしろで
この しごとを します。
はやく かわるがわる、その 一つ
きょうの 一つは これです。
はたらき手は 一つでも、
はやく かわるがわる すれば
いくつもを 同時に する ように 見える。
これが じぶんかつ(time-sharing)です。
でも かわるがわる するには
して いた しごとを とめて
また つづけないと いけませんね?
かわるがわるを 知れば、つぎは。
オペレーティングシステムが はたらき手を
こまかく 分けて つかう おかげで、
わたしたちは 一だいで
いくつもの しごとを たのしみます。
「一つが いくつもの ふり」。
この たんじゅんな ちえが
コンピュータを ずっと やくに 立たせます。